わたしの小説新潮日記

小説新潮の感想を中心としたブログです

葉真中顕「異郷のイービス」(最終回)小説新潮2021年2月号

 作品は終戦直後にブラジルの日本人移民社会で、先の戦争の戦果をめぐって起きた「勝ち組負け組抗争」という騒動を題材にしています。10か月間にわたり殺し合いが行われ、23人が亡くなり、381人の日本人が検挙され、国家騒乱罪で80人が国外追放になった事件です。長く移民史の中でタブー視されていたといわれています。

 主人公は比嘉勇。物語はトキオとの友情と裏切りへの葛藤、皇国民としての誇りと葛藤、渡辺志津先生との背徳の情事へ展開していく様など、比嘉家の養子となりブラジルに渡り、結婚し、子を成し、「勝ち組負け組抗争」に係わる過程を描いています。

 大戦中に弥栄村では栄皇会という皇国組織が結成されます。しかし、終戦を機に敗戦の認識を普及させようとする中心人物を暗殺する集団に豹変してしまいます。瀬良悟朗が代表で勇は副代表格になります。

 物語は終盤に意外な展開になります。大曽根周明暗殺計画の真のターゲットは友人の樋口パウロだというのです。大物でもない一介のブラジル生まれの青年が何でターゲット?? 作者は読者の感情を揺さぶり始めます。真相は、パウロが一時的に大曽根から預かった帳簿の異変に気づいたからです。

 この間に大曽根の側近で秋山稔という「帝国殖民」の社員が登場しています。これまで秋山が殖民に尽力する姿がたびたび描かれていました。その秋山と瀬良と志津が義兄弟であることが明らかになります。この展開も驚きです。

 秋山は不正が発覚するのを恐れ、瀬良と栄皇会を利用し、パウロの殺害を秘かに計画します。その結果、パウロもトキオも瀬良に殺されました。

 物語は終戦直後の邦人社会の混乱を調査しているひとりの日本人がブラジル在住の日本人老婆から聞き取りをするところから始まりました。

 序章は聞き手不詳のまま始まりましたが、終章で聞き手が明らかになります。この構成はちょっと興奮しました。聞き手は第三者の調査員ではなく、作者でもなく、勇の妻の里子だったのです。話している老婆が志津であることも明らかになり物語りの世界にのめり込んでしまいました。この展開はダイナミックです。

 すでに勇は亡くなっていることが里子から伝えられます。志津は里子に不倫や不正を詫びます。里子は1954年のサンパウロ市創設400年祭のときに2億円寄付した個人が志津だったことを確信していました。志津が贖罪していることを知っている里子は志津を赦していたのです。緩んだ感情の地盤はこれくらいの振動でも崩れます。泣けました。

 終章は綺麗な終わり方でしたね。里子は勇にとっては30年ぶり、里子や子供たちにとっては初めての日本訪問を勇の生まれ故郷である沖縄の海で過ごした思い出を語ります。勇は黒瑪瑙(メノウ)の小石を故郷の海に投げ込んだそうです。何度聞いてもその意味を勇は教えなかったといいます。読者ならその意味がわかりますね。

 聴き終わった里子が頭上に目にしたのは長いくちばしの赤い鳥でした。標題にある「イービス」です。「『赤い鳥、小鳥、何故、何故、赤い-』私は再び歌う。志津のことを抱きしめて。」これも読者にとっては技巧と余韻の感じられる終わり方でしたね。赤い鳥が夕日に溶け込むかのように飛んで行ったところで物語を閉じています。

 今日、日本ではどの地方に行っても外国人が暮らしています。しかし、彼らのコミュニティ(共同社会)に日本人が踏み込むことはありません。いわば身近なところ(地域社会)に異世界があるということです。75年以上も前のブラジル社会で起きた事件を当時のブラジル人はどのように理解したのでしょうか。

 学生のときにコミュニティとは地域社会と共同社会のことだと社会学で習ったことを思い出しました。地域社会と共同社会が重なっていれば地域生活は安定しますが、往々にして重なっていません。地域社会は1つしか持てませんが、共同社会は複数持てます。そのうちの1つを地域社会と重ねられると住みやすくなるということかもしれません。(合っているかな?)