わたしの小説新潮日記

小説新潮の感想を中心としたブログです

水沢秋生「つゆくさ」小説新潮2020年12月号

 この作品は一度読んで心を揺さぶられ、二度読んで隠し技が見えてくる作品です。時制に幻惑されるファンタジー小説といえます。今回はおもに幻惑された部分について触れてみたいと思います。

 作品は11の単元で構成されています。主人公の「彼」の大学生時代と私が勝手に30代と思いこんだ現在とが交互に描写され、その後、就職後の20代後半と“現在”が交互に現れます。

 大学生時代や20代後半は現在からの回想と思い込んで読み進めると、現在であるはずの第1単元(プロローグ)の最終行が「・・・、そう呼んでいた」と過去形になっています。結末に近づくと、この過去形に意味があったことがわかります。通読しているときは気づかないほどの小さな幻惑です。文章によるサブリミナル効果のようなものでしょうか。

 彼は20歳のときに彼女と出会います。お付き合いに発展するまでが丁寧に描かれています。彼の恋は慎ましやかで誠実です。恋をしている時は、特に若い時は世界が自分を中心の回っているような幸せな気持ちになると思うのですが、彼の恋は等身大です。

 読み進めると、彼らが地方都市の大学生だったことがわかります。彼は卒業後、地元で就職しますが、数年後に東京勤務となります。当然、遠距離恋愛となります。東京で数年が経ち仕事は認められますが、逆に郷里に帰れなくなります。プロポーズの指輪を用意しますが、結局手渡しすることはなかったと、ここでも過去形で単元が終わります。30代は現在ではないのかと胸騒ぎを覚える展開です。

 最終単元で郷里にいる彼女が大震災で圧死していたことが明らかになります。ここに至り完全に惹き込まれてしまいました。

 第1単元で彼が東京からつゆくさ色のネクタイを締めて新幹線に乗る描写は、25年前に亡くなった彼女に“会いに行く”場面だったのです。このネクタイは彼女からプレゼントされたもので、彼女に会いに行く時だけ着けるネクタイだったことが明らかになります。

 彼は毎年彼女の命日にこのネクタイを締めて郷里で彼女と会い、語っています。彼が今でも独身であることが想像できます。この物語は54歳の彼の回想だったことが最後にわかる仕掛けです。

 また、「つゆくさ」は古語では「つきくさ」とも言われ、「消える」「心が移る」に掛かる枕詞に使われていたと彼女からの説明も挿入されています。つきさくがすでに亡くなっている彼女に掛けていることが読み返いてみるとわかります。二度読んでこうした隠し技が作品に余韻と厚みを持たせていると気づきました。