わたしの小説新潮日記

小説新潮の感想を中心としたブログです

本城雅人「黙約の傷」(新連載)小説新潮2020年7月号

 今月号で最も夢中になった作品です。連載小説の抑えどころを押さえ、読者目線立った書きぶりに好感が持てました。

 まず、登場する地名、大学名にわかりやすい工夫があります。

 主人公の竹内正海(まさみ・28歳)が勤務する「潮(うしお)メディカルセンター(UMC)」は四国のR県潮市に所在する設定です。一方、竹内らがドナーを切除するために急行する地は埼玉県春日部市と実在の市名を設定しています。しかもサブカルの世界では日本で最も知名度のある(?)地方都市(クレヨンしんちゃんの舞台)を選んでいますね。もしこれが両地区名ともアルファベットが混在していたら読者はわかりづらかったでしょう。

 大学は3大学登場しますが、いずれもありそうな架空の名称です。竹内が出た大学は西の最高学府である西京大学。第2外科部長として招聘された鬼塚鋭臣(さきとみ)は帝都大学です。医学会で永遠のライバルとされているといえば、容易に京大と東大を想起しますね。春日部市の病院は新和大の附属病院となっています。

 このように地区名はアルファベットと実名で対比させ、大学名は架空の名称で統一しています。これは読者に配慮した隠れた工夫だと思いました。

 登場人物のキャラクターもわかりやすい設定です。竹内は西京大学病院で前期研修医を終えて、2年前にUMCに後期研修医として勤務しています。西京大出身を秘かに自慢する気持ちが見え見えです。勤務中も常に論文の構想を意識し、3年間の研修医を終えたら西京大に戻るキャリアプランをしたためています。つまり腰掛意識です。

 輪島医長は手術中にも怒鳴る人です。鬼塚部長は竹内からみれば怖そうな雰囲気をまとって登場しましたが、常に冷静で的確な部下指導と手技をもった優れた医師であることが明らかになってきます。この対比もわかりやすい設定です。

 坂巻千晶(ちあき・34歳)は第2外科の女医です。竹内とは秘かにベッドを共にする間柄です。こういう役柄も娯楽小説では必要ですね。

 物語はプロローグのあと、新和大春日部病院でドナーが現れ、臓器移植ネットワークに登録するUMCの広永患者(レシピエント・66歳)に順番が回ってくる場面となります。竹内らは急遽、四国から春日部市まで肝臓の切除に向かいます。夕方から翌日にかけて時間との勝負で、一気に緊張感が高まる展開となります。その後も物語は二転三転し、レシピエントは天羽路夢(あもう ろむ・中3)に代わります。めまぐるしい展開に惹き込まれてしまいました。

 さまざまな緊迫した出来事を経て、いよいよ手術を迎えます。鬼塚からは手術は14時間かかると医師団に説明があります。ここからはこれまでの動きのある展開から静寂な場面に転換していきます。ただし、緊張感を持った静寂です。この変化も惹き込まれますね。

 長時間に及ぶ手術は無事成功します。手術後に竹内は院長室に呼ばれ、院長から分院勤務を命じられます。西京大出身のプライドを傷つけられた竹内はウソも交えて抗弁します。しかし、手術を観察していた院長達からは手術中に竹内が別のことを考えていたことを見透かされていました。真摯に患者に向き合う姿勢を学ぶことを期待しての異動命令でしたが、竹内はその真意に気付くはずもありません。「崖から突き落とされたように、正海の視界が歪んでいった」と第1話が終わります。

 主人公は頭がよくてたぶん顔も整っていて、女性に不自由したこともなく、医学のスキルにも(根拠のない)自信を持っていますが、人間性は未熟です。たぶん初めての挫折なのでしょう。

 このあとどのような展開になるのか予想はつきませんが、魅力的な作品が登場しました。連載小説は第1話が重要です。名曲はだいたい第1楽章や序曲は傑作です。いい連載が始まりましたね。この後も引き続きよろしくお願いします。