今月号の特集は、「もう一杯、飲む?-酒のある風景をめぐって」と題し、5つの小説と2つのエッセイが収録されていました。編集者はこの出来栄えはどのように自己評価しているのでしょうか。私は心に残る作品が見つかりませんでした。
好みの作品の感想を書くという当ブログの主旨に反するので躊躇しましたが、巻頭作品についてのみ触れてみます。
物語は主人公の「わたし」が6歳の頃の話です。あだ名は「ノンチー」。当時の家の玄関には郵便受け用の横長の穴が空いて、その穴を「シネマスコープ」と見立てて物語は構成されています。
当時、ノンチーは幼稚園の登園バスに乗るまでの間、よその家の横穴から朝ドラを見るのが楽しみになっていたといいます。その間の他愛のない話が続きます。
物語は突然、ターコさんという一人暮らしの女性の話に転換します。この転換が不自然でついていけません。
ターコさんは“旦那さま”が亡くなってから、頻繁に“お客さま”が通っていたことが語られます。
ある時、ターコさんは自分の家にノンチーを誘います。そこにはお手伝いのハナちゃんがいました。ハナちゃんは軽度の知的障害のようです。ターコさんはハナちゃんがパニックになると、ハナちゃんの股を擦り落ち着かせているところをノンチーは目にします。だからといってその光景をノンチーがどう思ったかは触れていません。
次に、ノンチーが覗いていた家の中にマモルさんの家の話が出てきます。ターコさんはマモルさんがアルコール依存で孤独死したことをノンチーに語ります。ターコさんはマモルさんも擦ってもらえば落ち着けたのに、私も同じだとノンチーに話します。このことにも深入りせず話は進みます。その後、酒好きで男好きのターコさんは不審死し、当時界隈で大いに話題になったことが語られます。
「わたし」はターコさんの死よりハナちゃんの行方が気になり、父親に訊ねましたが、父親が知らないと桃色の歯茎を見せて笑っていたことを語ります。「わたし」はその日の父親の桃色の歯茎を思い出すたびにターコさんが指で作った横長・長四角から覗くふりをしたときの血走った白目を思い出すと話し、物語を終えます。
「桃色の歯茎」や「血走った白目」がターコさんの淫靡な何かを感じさせますが、そのことが「わたし」にとってどのような関係があるのか不明です。邪推すれば、父親もターコさんのお客さんだったのではないかと「わたし」が感じていると曲解することも可能ですが、それを示す痕跡はどこにもありません。
結局、今の「わたし」は何がいいたいのか、何を感じているのか、暗示を含め何も触れていません。そもそも「わたし」は何者なのか存在感がありません。モヤモヤ感だけが残る作品でした。