わたしの小説新潮日記

小説新潮の感想を中心としたブログです

村木美涼「影が消えるまで」小説新潮2020年2月号

 共働きの中年夫婦が穏やかに休日を過ごしているところに、「『分離後消滅前期間に於ける投影体暫時集合施設』に関するお願い」という文書が役所から送られてきます。この奇怪な標題の文書を妻が読み上げるところから物語は始まります。

 人体が作る影は一定期間を過ぎると体から分離し、人体は新たな影を得るといいます。その分離した影はある特定の民家に集合し生命を終えるのだそうです。その集合場所に当該夫婦の住宅が選定されたという文書でした。まとめれば以上のようになりますが、しばらくはめまいを覚えるほど理解が追いつきませんでした。その分、一気に小説の世界に拘束されてしまいました。

 分離した影を投影体といいます。当該地域に生息する全ての投影体が集合施設に移動してきます。移動と集合に1週間、全体で約1か月の間に徐々に影の生命が弱り消滅します。集合施設は「影捨て場」ともいわれています。影が集合してきますので、その民家は異様に暗くなります。しかし、暗さは次第に薄くなり1か月で元に戻るといいます。

 夫は中学のときに、妻は高校2年のときに自宅が影捨て場になったことがあります。そのため夫婦は諦めた気分で集合施設になることを承諾し、役所でそのための手続きをします。窓口の男が悲哀をそそります。本当にいそうな人物が物語を補強しています。

 投影体と共存している間、夫は常に冷静に現実を受け止めますが、妻はストレスが高じ、家を出てしまいます。

 ひとりになった夫のもとに言葉を発する影が現れます。まるで村上春樹の「騎士団長」のようですね。影は自分たちがしばらく同居することを気にしています。また、影は妻が圧迫感を感じていたこと、夫がいつも冷静でいたことなどを語りかけます。

 夫は妻が出ていったことに対しても淡々としていましたが、本当は動揺していたかもしれないと生命力の落ちた影に吐露し、話し相手になってくれたことに感謝します。

 影が消えた後に役所で完了手続きをしました。窓口の男は投影体的なものが剥落することの意味を「投影体は大きな役割を担いつつ、剥落し、消えていく」とあいまいに語ります。人生におけるマイナスの記憶を消去し、新たに書き換える機能があるという意味でしょうか。

 夫は「あんたはどうしたいんだよ」と語った影のことばを思い出し、妻に影が消えたことを電話するところで物語を終えます。

 夫の心的世界を描いた作品ともいえます。一瞬、異空間に閉じこめられた気分にさせてくれた作品に感謝です。