わたしの小説新潮日記

小説新潮の感想を中心としたブログです

諸田玲子「ちよぼ」小説新潮2020年1月号

 本作は本阿弥光悦が後に加賀前田家三代当主である利常の生母となった寿福院(千代保・ちよぼ・前田利家の側室)との交流を描いた作品です。全編をとおして気品のある作品です。

 物語は寿福院の孫娘である満(まん)が光悦の死を報せるために寿福院が眠る長栄山大国院本門寺(池上本門寺)の石段を登っているところから第1章が始まります。そこから寿福院と光悦がどのような交流をしてきたかを過去に遡って明らかにしていく構成です。

 第2章では刀脇差目利指南役を務めていた本阿弥家当主が急逝したことで、改易の危機が迫る中、既に隠居している光悦がお家存続のために寿福院の住む江戸に嘆願に駆け付けます。光悦が寿福院に助けを求めたのは日蓮上人の声に導かれたからだとしています。2人は日蓮宗徒として価値観を共有しています。

 寿福院は大名間の軋轢を避けるために、養珠院(ようじゅいん・家康の側室:於万の方・徳川頼宣紀州徳川家〕、頼房〔水戸徳川家〕の生母)に便宜を頼み、晴れて本家の安泰が図られます。寿福院と光悦は家督相続の安堵を共に喜び第2章が終わります。

 第3章では寿福院と光悦の交流の原点が描かれます。最初の出会いは光悦が23歳の時で千代保は奉公に上がって間もない頃です。2人の間には15、6歳の年齢差が伺えます。次の再会は約10年後で光悦が本法寺の作庭の下見をしているときです。その後も何度か本法寺で顔を合わせます。光悦は都度、天真爛漫な千代保に創作意欲を掻き立てられます。千代保は光悦に憧憬と尊敬の念を抱いているようです。

 その後、2人が会うことはなくなり、光悦は千代保が利家の側室となり利常を産んだこと耳にします。光悦は寿福院の名を耳にするたびに頬を緩めますが、一方で名状しがたい寂寥感におそわれます。しかし、「作品を生み出すときに一瞬恍惚とさせてくれる命の輝きともいうべきものを、千代保に重ね合わせたのかもしれない」と分析したものの、その気持ちが何なのか本当のところはわからないままです。

 歳月は流れ光悦は年老いますが、創作意欲は衰えません。ときおり行き詰ると本法寺へ赴き、童女のように目をきらきらさせた千代保を思い出すところで物語は終わります。

 読後感がいいので、余韻に浸るだけで充分満足ですが、あえて光悦の千代保に対する気持ちを考えてみるのも一興です。

 例えば、自分が好ましいと感じた童女が成長し藩当主の生母に出世したことに対する目利職としての自尊感情を満足させることも何パーセントはあるのではないかと思うのです。ただ、精神分析風にいえば、自尊感情を創作に「昇華」させ、その感情は意識下(「無意識」)に忘却させていますので、その正体がわからないということかもしれません。このように考えると光悦が人間臭く見えてきますが、作品を汚すのでこれ以上の邪推は止めておきましょう。