わたしの小説新潮日記

小説新潮の感想を中心としたブログです

千加野あい「雪解け」小説新潮2019年11月号

 今月号は年1回恒例のエロス特集です。残念ながら、特集にふさわしい小説は実質的に3作しか収録されていません。私が20代の頃に本誌を読んでいたときの官能小説特集は多くの作者が競演していました。それを思うと寂しい限りです。編集長の眼鏡にかなう小説家がいないということでしょうか。

 今回、取り上げる作品は好みの作品ではありません。しかし、ひとりのデリヘル嬢の人間性に焦点を当てようとしている点が新鮮でしたので取り上げてみました。

 結衣(ゆい)が初めて風俗嬢になったのは20歳のときです。きっかけは大学の友人3人で京都旅行に行くことになり、仲間外れになりたくない一心で、旅行費用を即金で稼ぐためです。

 京都旅行の時もそうですが、結衣は自分の本心を語らない性格です。こうした性格は小6の頃から父親に嫌われていると感じるようになり、次第に嫌われないために自分を偽る性格になったことが背景のように触れられています。

 父親との断絶が決定的になった出来事があります。中2のときに家族4人がそれぞれの雪だるまを作ることになり、父が結衣の分を含めて2体の雪だるまを完成させました。父の手をみると真っ赤でした。思わず手を取ると「汚い、触るな」と拒否されてしまいました。このころから嫌われないために自分の本心を話さないようになっていました。

 今でも唯一の大学時代の友人に何一つ自分の本心を語っていません。偽りの友情を演じる自分に自己嫌悪と諦めが交錯しています。

 結衣は新卒で入社した会社を身バレが怖くて2年で辞めています。本当に怖かったのは、怖いと言える相手が一人もいなかったことだといいます。

 27歳の今、すでに5店舗目です。いつまでこの仕事を続けていけるか、昼の仕事ができるか不安を抱えています。そのような中、唯一の救いが店長のやさしさです。結衣の本心を受け止めてくれるのは店長だけと感じています。

 さて、この作品で重要な人物がリピーターの後藤さんです。後藤さんは「ももちゃん」(結衣の源氏名)にセーラー服を着せて「チエミ」と呼び、自分のことを「ごとーさん」と呼んでもらってプレイします。チエミは中学時代の同級生だといいます。

 ある時、後藤さんから急な予約が入ります。ホテルに入ると後藤さんはチエミが中学卒業までに「区切りをつけたい」といって本番を迫ります。「「ご・・・っとーさん!やめて!」と叫ぶといつもの気弱な後藤さんに戻りました。そのとき結衣はチエミが後藤さんの娘で、「ごとーさん」は「おとーさん」の意味だと悟ります。

 後藤さんはチエミにお父さんと呼んでもらいたくてデリヘル嬢で代理満足していたのです。もちろん、チエミが実子か連れ子か、あるいは援助交際の女子中学生か、生死の別も不明です。妄想の産物かもしれません。デリヘル嬢と客との関係は“この瞬間だけの親密な他人”だから本当のことはわからなくていいと思います。

 ただ、プレイの後に後藤さんをみて、かつて父親が結衣を遠ざけるようになったのは、成長する結衣に距離を置きたかったからだとしたら?と想像します。このことの意味を作者は触れていません。これは意味深です。

 あの夜、父親は家を飛び出し戻りませんでした。凍えるほど寒い夜に父が一人で過ごしていなかったことだけを祈り物語を終えます。

 タイトルの「雪解け」は父親への複雑な感情が氷解しつつあることの比喩だと思いたいですが、そうだとしたら描き方が淡白で、あまり氷解が感じられません。

 むしろ、雪解けで一番小さくなって汚れていたのが父親の雪だるまの比喩だとしたら、父親への感情は真逆になります。ここは根幹の部分ですので、読者の想像に委ねるのではなく筋書き(プロット)はわかりやすい方が好みでした。

 プレイのあとの後藤さんの描写で1か所、ありえない表現があるのも気になりました。(生々しくなるのでどこかはあえて書きません)