わたしの小説新潮日記

小説新潮の感想を中心としたブログです

重松清「シリーズ『まなつ』十一番目の色」(第3回)小説新潮2019年4月号

 今月号では心惹かれる作品を見つけられませんでした。これは作者や編集者の問題というよりは、大半が私の感性が硬直化していることが原因と思っています。感性を若返らせないといけないと反省です。

  さて、今月号は上記のような事情で違和感を覚えた作品を取り上げます。

  この作品は、2018年7月号からシリーズが始まっています。第1回では主人公の安西修平は不器用で頼りなく、人間関係が苦手、すぐに神経性胃腸炎になる、転職を繰り返す、早く帰ることを楽しみにしているなど、 “ダメ夫”を強調するようなキャラクター設定でした。

  その後2019年1月号で2回目になると、修平のダメぶりは消えていました。染色体異常で産まれた「まなつ」を中心とした育児や家事を頑張っています。6か月間の刊行ブランクの後に主人公のキャラクター設定が変わってしまったことに違和感を持っていましたが、その後の設定でも “頑張る修平”になっています。作者の中で路線変更があったのでしょうか。このままでは単行本になったときにつじつまが合わないような気がします。何らかの加筆修正があるかもしれませんね。

  また、作中では「障碍者」を使用しています。宝塚市では2019年4月から公文書では「障害者」ではなく「障碍者」を使うとのニュースを耳にしました。自治体によっては「障がい者」を使っているところもあります。「障がい者」や「障碍者」を使うことに対して、異論をもつ障害のある当事者もいることから、まだ、全体としてのコンセンサスはないように思います。 

 因みに、私は「障がい者」という表記が嫌いです。「害」を平仮名に開くことは表意文字を破壊し意味を不明にします。日本語として美しくありません。「外人」や「害虫」と同じように、もし、障害者を「害者」と呼称する習慣があるなら、「害者」は「害をなす者」の意味の名詞でしょうから、不適切だと思います。しかし、「障害者」は「障害のある者」または「障害をもつ者」の名詞です。 また、「障害者」をそのまま使うべきとする意見には、障害を恥ずかしいものとして隠すのではなく、一つの個性としてありのままに表現することが「ノーマライゼーション」の思想とする考えがあるようです。

 「碍」については、常用漢字にありません。小説では美しい日本語を目にしたいものです。定着した言葉を使うのも一つの見識と思います。