わたしの小説新潮日記

小説新潮の感想を中心としたブログです

笹井都和古「続きはオフラインで」小説新潮2018年11月号

 今月号の特集は「エロスは進化する!」と題し、近年恒例の年1回の官能小説特集です。私はこれまでにも何回か触れましたが、いわゆる官能小説は嫌いです。どんな高名な作家が書いても即物的な描写に至ると、「結局そこか・・・」と落胆してしまうことがほとんどでした。

 

 しかし、この作品は新鮮でした。即物的な描写はほとんどありません。あっても仮想空間でのことです。あらすじを少し書いてみます。

 

 主人公の「私」は、大学受験に失敗し、将来の見通しもなくバイト生活をしている20歳の女性です。11歳の時に母親が家を出て以来、父と引きこもりの兄と3人で生活しています。誰も家事をせず、生ごみの臭いや散らかし放題の家でひっそりと暮らしています。

 

 「私」はいつ死んでもよいと感じています。そんな「私」が唯一安息できるのが、「Shining Kingdom」(シャニキン)というスマホのゲームアプリです。このアプリは、王国に仕えるイケメンの騎士たちが魔物を倒しに行くRPG(Role-Playing Game)です。

 

 「私」がお気に入りのキャラはエドワードです。エドワードのレアカードを求めてバイト代を課金カード購入につぎ込む日々です。海パン姿のエドワードがスマホの中にいると気持ちが華やぐといいます。

 

 ネット上には、シャニキンのBL(ボーイズラブ)2次創作があふれています。「私」は、貴族生まれの16歳のスカーレットがエドワードに抱かれるBL作品を観るともなく観ています。

 

 ある時、「#シャニキンなりきりさんと繋がりたい」というハッシュタグを見つけます。見ると、エドワードのなりきりアカウントです。「傍に居てくれたら何時でもお前の事笑わせてあげる。オレの全部をあげるよ。・・・でも時々死んじゃいたくなったら助けてね(なんて、)#シャニキンなりきりさんと繋がりたい」とありました。「私」は数あるエドワードアカウントで、このアカウントだけがエドワードの声で聞こえたといいます。

 

 さっそく新しいツイッターアカウントを取得すると、自分が新しく生まれ変わった感じになります。“これは私ではない、ここに私は存在しない”と、おそるおそるエドワードのツイートに「いいね」を返します。すると、エドワードからダイレクトメッセージが返ってきます。

 

 それから「なりきりエドワード」と「なりきりスカーレット」の会話が深まります。2週間のなりきり会話では性行為にも及びます。仮想空間でのボーイズラブは不思議な感覚で、快感の坂を上がっていくのは清潔な行為のように思えたといいます。また、エドワードと一緒に手を繋いでみる夢は恋愛の味がちゃんとしたといいます。このような繊細な描写が随所に出てきます。

 

 しかし、「私」は次第にエドワードの中の「人」が現実世界でできるだけ嫌な思いをせず暮らせることを願うようになります。

 

 ある時、エドワードから「スカーレット何か食べたいものある?」と聞かれ、「ハンバーグが食べたい」と送ってしまいます。公式プロフィールではスカーレットの好物は分厚いミディアムレアステーキなので、これは現実世界の「私」の欲求でした。「私」のなりきりスカーレットは終わったと悟ります。何の魅力もない自分自身が現実世界で愛されようとしたからです。

 

 しかし、エドワードからは「じゃあ今度ハンバーグ食いに行こうか」と予期せぬ返信があります。「私」は、いつ死んでもいいと思っているのに、こんな些細な望みをちらつかされただけで涙が止まらなくなってしまいます。

 

 「私」は “いつ死んだっていいなんて嘘だ。本当はお父さんとお兄ちゃんにいつまでも笑ってほしいし、自分が満たされることで、どこかの誰かにもほっとしていて欲しい”と思っていることに気づきます。

 

 1週間後にエドワードとハンバーグを食べる約束をします。「私」は穏やかな女の人を期待していますが、一方で、最悪、殺人事件に巻き込まれることも覚悟して約束の場所へ向かいます。

 

 エドワードは「迷子にならない様じっとしてろよスカーレット(白いekワゴンに乗ってます)」と発信し、スカーレットは「迷子になるわけないだろ、何言ってるんだ(西口のベンチに座っています)」と返します。白いekワゴンが滑り込んで来て、「私」がベンチを立つところで物語は終わります。

 

 終盤で実際に会う「人」が兄だったらどうなるのだろうとヒヤヒヤしました。しかしekワゴンとあったので安心しました。兄は無免許のはずですから。また、ekワゴンというのはかなり渋い設定ですね。今時のホンダのN-BOXやスズキのワゴンRでないところが、ありふれた年配の主婦のような(だといいのですが)イメージを彷彿させます。この後、どんな会話をするのでしょうか。

 

 現実世界の生きづらさとネット上でボーイズラブの妄想でお互いを癒す場面の落差が際立つ佳い作品だったと思います。今特集のイチオシです。