わたしの小説新潮日記

小説新潮の感想を中心としたブログです

小嶋陽太郎「恋をしたのだと思います」小説新潮2017年12月号

 今月号の特集は「ファンタジー小説の現在」と題し、4作が収められていました。あわせて「日本ファンタジーノベル大賞2017」の発表もありました。 

 因みに、大賞は「隣のずこずこ」(柿村将彦)です。冒頭部分が抄録されていましたが、狸の置物が動き出し、人を丸呑みしてしまうという奇想天外な物語です。文体や語感が優しく温かい印象です。単行本の刊行は2018年3月下旬とのことです。 

 ところで、私にとって、ファンタジー小説というのは何となく捉えどころがありません。そこで、今回は自分の理解を整理するために、はじめにファンタジー小説の枠組みのようなものを素描してみたいと思います。 

 小説の舞台(場)とストーリーの論理的必然性という2つの軸で考えてみます。 

 1つは、舞台が現世界(A)か、異世界(B)かという軸です。現世界には過去、現在、(未来?)という時間の概念も含まれます。 

 2つは、事件や出来事(incident)の論理的必然性が強い(1)か、弱い(2)かという軸です。強弱の間にはなだらかな連続性があります。 

 この2つの軸を交差させると次の4つの事象に分けられます。

A1(現世界の話で論理的必然性が強い)

A2(現世界の話だが論理的必然性が弱い)

B1(異世界の話だが論理的必然性が強い)

B2(異世界の話でなおかつ論理的必然性が弱い)

 

 A1はミステリー小説になると思います。A2・B1・B2がファンタジー小説の領域かと思います。 

 ただし、B2が小説として成立するには、描写や構成の巧みさが一層要求されます。それが不足していると読者の想像力が追いついていきません。要するに駄作となってしまいます。 

 今回取り上げる「恋をしたのだと思います」は、A2~A1の線上に位置している作品といえます。今回、この作品を取り上げるのは、作品の舞台が私の職場の近くだからです。このシリーズはいつか取り上げてみたいと思っていました。

 

 (前置きが長くなりましたが本題です。)主人公の「樹里亜(じゅりあ)」は、幼少のころから、学校選びもお稽古事も、就職先も常に父母に決められるままに育ちました。縁故で入った銀行では社内のエリート銀行マンに見初められます。デートも彼主導です。 

 ある時、樹里亜が雑居ビルの陰で体調不良でうずくまっていると、たまたま戸口に出てきた占い師に介抱されます。見ず知らずの占い師の介抱を受け入れたのは占い師の声が不思議と心を落ち着かせる声だったからです。 

 樹里亜が勤務するのはある銀行の神楽坂支店(東京都新宿区)です。場面には“象公園”や近代的な神社が登場します。これらはいずれも実在のモデルがあります。銀行名は省きますが、公園は「あかぎ児童遊園」で、神社は「赤城神社」です。これまでのシリーズでおなじみの舞台です。神楽坂はビジネスと観光が同居する最先端の都市空間ですが、路地裏には静かな生活空間が息づいています。 

 こうした現世界を舞台にして、占い部屋で出される不思議なお茶と香の香り、嘘か本当かつかみどころがない語りがファンタジーっぽい曖昧さを増幅させます。一方で占い師にも当然のように私生活があり、その苦悩を垣間見せることで占い師に実在感を与えます。 

 占い師との1時間1万円での会話の過程で、いつしか樹里亜は占い師に片思いしてしまいます。その後、彼氏からのプロポーズを予感させる場面で占い師のところに走ります。しかし、占い師は忽然と姿を消していました。すべてを受け身で育った樹里亜です。残された樹里亜はこれからどのように自らの人生を切り開いていくのでしょう。物語はここで切断します。 

 曖昧さと実在感、都市空間と生活空間、主導と受け身など、この作品には対立軸が随所にちりばめられています。この対立軸の構造性が心地よいバランス感を生んでいると思います。

 

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“象公園”こと「あかぎ児童遊園」ここを探すのはちょっと苦労しますよ

 

 

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赤城神社。境内におしゃれな「あかぎカフェ」があります