わたしの小説新潮日記

小説新潮の感想を中心としたブログです

伊藤万記「月と林檎」小説新潮2017年5月号

 この作品は、今年度の「第16回女による女のためのR-18文学賞」で友近賞を受賞した作品です。R-18文学賞は、第10回までは「女性が書く、性をテーマにした小説」でしたが、第11回からは「女性ならではの感性を生かした小説」と主旨を変更しています。 

 また、友近賞というのは、芸人の友近さんが選考委員に加わり、同氏が推した作品に贈られたようです。たぶん特別賞のようなもので常設の賞ではないのだと思います。 

 ただし、私たち読者が目にする作品は、選者コメントによると、作品のラストで主人公の早希(さき)が玲奈にキスをする場面は修正されているとのことです。原文は玲奈の恋心を弄ぶようでこれまでの早希の心情からは不自然との批評があったのかもしれません。 

 書き換えられた部分についての所感は後述しますが、一部理解が及ばないところがありました。それでも、私はこの作品が描く美術室内外の景色や聞える音、月明かりの部屋から伝わる静けさなどの風景感が好きです。 

 物語は、10月の穏やかな西日が差し込む美術室で高野早希が美術の補習を一人で受けているところから始まります。早希は高校2年生で女子野球部のエースピッチャーです。しかし、肩の怪我で3か月の投球禁止となっています。 

 補習2日目に、早希は美術講師の塔田(とうだ)が早希の練習風景や最近の肩の不調で休部している姿までを克明にデッサンしているスケッチブックを見てしまいます。早希は自分の中の葛藤や焦燥感、寂寥感、無力感までを塔田が描き出していることに心の平静を失います。 

 涙があふれ床に座り込んだ早希は、また野球ができるような気がするから自分の肩を描いてほしいと懇願します。その夜、月明かりの差し込む塔田の部屋で上半身を脱ぎ、背中を塔田に向けます。きれいな描写です。 

 11月に入り、早希は3か月の投球禁止が解けて野球に復帰します。復帰初日に再び美術準備室を訪れ、自分が立ち直れたのは自分では見ることができない肩を描いてもらい、自分と向き合えたからだと塔田に感謝の言葉を伝えます。 

 一方の塔田は自分には画才のある姉がいて、その姉の失明前の痛ましい姿と美しさに惹かれたときの感情を肩の不調に悩む早希に重ねていたと告白します。性的な関係は一切ありませんが、塔田の感情は劣情に近いでしょう。「弱っている君はきれいだった」と述べます。R-18の表現も進化していますね。 

 ところで、床に座り込む早希が嗚咽をおさえ肩を描いてほしいと告げるときに、塔田が早希を引き寄せる場面があります。その時に玲奈が早希を探しに来て、その微妙な現場を見て、あわててその場を離れていく場面を挿入しています。玲奈はリトルリーグ時代に早希を男子と勘違いし告白したことがある設定です。 

 最後の場面に移ります。この部分が書き直されたところだと思います。作品では、「塔田にとって自分はもう『魅力的な画題』ではなくなったのだろう」として、「絵の中に生きてはいられない」「誰かが見ていてくれなくても、自分が自分であることに変わりはない」と塔田からの自立宣言(らしきこと)をします。 

 一方で作者は「(私は先生のことが知りたい)」と心のつぶやきを挿入します。この結末はどのように理解したらいいのでしょうか。“自立宣言はするが先生のことが好きなことは好き”ということなのか、作者の意図がつかみ切れませんでした。私の感性不足でしょうか。 

 そこで、勝手にできるだけ原文に沿って私好みに結末を読み替えてみました。 

 “美術準備室を出た早希は校門で玲奈と出会い心は波立ちます。しかし、すぐに早希は「私、ちゃんと私の顔してる?」と自分の存在を唐突に問いかけます。意味の分からない玲奈は歯牙にもかけません。部活帰りの普通の女子高校生の会話に戻りながらも、早希は心の中でスケッチブックから躍り出ていく自分を想像し、誰かが見ていてくれなくても、自分が自分であることに変わりはないと塔田から自立する自分を自覚して物語を終えます。” 

 以上のようになります。要するに「(私は先生のことが知りたい)」の部分を削除することで、塔田からの自立でストーリーを完結させてみました。(飛躍のある読み方をしてしまいましたが、「超読」も読書の楽しみです。恐縮とともに感謝です。)