わたしの小説新潮日記

小説新潮の感想を中心としたブログです

増田俊也「北海タイムス物語」(第6回)小説新潮2016年3月号

 物語は平成2年の北海タイムスの入社式から始まります。平成2年といえばバブル景気の真っただ中です。主人公は早稲田大学新卒の野々村巡洋(じゅんよう)です。 

 さて、その野々村には毎回ハラハラさせられます。野々村は大学受験も就活も恋人との関わりもすべてフワフワしています。自分を見つめることができていません。まさにバブル景気の気質を反映しています。 

 大学は一浪して早稲田大学に入学しますが、そもそも早稲田は文系全学部を受験して、たまたま受かった教育学部を卒業しています。「早稲田」のラベルを得ることが目的で、なぜ教育学部なのかの意味はなかったようです。 

 就活は、新聞社だけを21社受けて、たまたま引っかかった北海タイムスに入社しています。しかも本人の志望は全国紙の記者ですので、北海タイムスは1年限りの腰掛を決め込んでの入社です。ただ、なぜ全国紙の記者なのかの意味を見つめていません。「人とは違うエリートの仕事」ぐらいのイメージを思い込んでいるだけです。 

 当然、北海タイムスの労働条件にも無頓着で入社しています。入社後手取り13、4万円と知り愕然とします。就活もここまで来るとほとんど基本を忘れていて、マスコミを受験することが目的となっているようです。 

 野々村には夏子という恋人がいます。夏子が司法試験の模試でよい成績を残すと夏子が落ちることを願う始末です。自分が仕事で苦しんでいるときに恋人の成功談を聞きたくないのです。 

 また、夏子には自分が記者になったとウソをついています。確かに北海タイムスには記者職で入社しましたが、研修後の配属先は整理部でした。恋人に見栄を張って何の意味があるのでしょう。 

 今月号では北海道に会いに来た夏子にウソがばれてしまいます。夏子から愛想をつかされると、夏子の顔にコップの水をぶちまけてしまいます。そのあとは喪失感に酔いつぶれて次号へ続きます。自己嫌悪で酔いつぶれるのなら反省の証ですが、喪失感では自己を見つめていませんね。 

 野々村にとって夏子は“かわいい彼女がいる”というラベルの意味しかないようです。夏子の成功を喜ぶことも、会いに来たことに感謝の気持ちもありません。あくまで自己中心的です。幼いといえばそれまでですが、このまま成長できないとDVに走りそうな男です。 

 今月号で入社して1か月半たった頃ですが、不慣れと緊張で体重は5キロぐらい痩せてしまいます。 

 本人にその自覚はないようですが、腰掛入社ですので北海タイムスを無意識に小馬鹿にしての入社だったのでしょう。しかし、現実の仕事は小馬鹿にして勤まるはずがありません。先輩の権藤からは初日から強烈な怒号を受け、悔し涙を流しながらの一日目となります。そのうえ翌朝は6社対抗朝野球リーグに駆り出されます。 

 また、清國さんという定年間近の活版植字工が野々村に「巡洋」の活字をプレゼントする場面がありますが、野々村は受け取ろうしません。腰掛入社だから受け取る価値がないと思ったのでしょう。全く大人げない振る舞いです。 

 野々村の振る舞いをみていると、生きる意味、学ぶ意味を見つめる機会がなかったように感じられます。 

 知識偏重型の教育スタイルに適合した学生は偏差値が高く“一流大学”に合格しやすいものですが、生きる意味、学ぶ意味を考えることは偏差値教育とは無関係です。 

 しかし、大半の学生はいきなり就活でこれまでの教育スタイルとは別の学びの場面に直面します。むしろ社会人となってからの学びは自分がどう生きるかを追求することにあります。 

 作中で萬田編集局次長は「ここは学校じゃないんだよ。成績順に採用していると思ってるのか」「・・入社試験というのはいかに会社を愛し、いかに仕事の伸びしろがあるか、それを見てるだけだ」と野々村に話しますが、野々村にはピンときません。 

 また、同期の浦ユリ子からは「・・どうして新聞社に入ったの?」と訊かれますが、まともに答えられません。浦の「使命」の言葉にも反応できません。 

 ただ、心配することはありませんよ。これから、色々な人と出会う中で自分を見つめ、自らを磨けばいいのですから。このあとの野々村の成長に期待ですね。 

 なお、北海タイムスは北海道に実在した新聞社ですが、平成10(1998)年9月に経営不振で倒産します。このことに野々村がどのように関わるのか、気になるところです。