わたしの小説新潮日記

小説新潮の感想を中心としたブログです

桜木紫乃「家族旅行」小説新潮2015年10月号

 この作品は2015年7月号から、およそ3か月毎にシリーズで掲載されている小説です。今回で第2回目の作品です。

 主人公は紗弓(さゆみ)36歳、看護師です。夫・信好は映写技師です。しかし信好はほとんど無収入で公募脚本に応募し続けているフリーターです。ただし、自分の立場をわきまえ“主夫”を分担し、常に心優しく紗弓に接しています。紗弓は純粋な信好に惹かれて結婚しましたが、現状や将来のことで不安を抱えながら、紗弓の収入で慎ましく生活している設定です。

 今回の物語は、言葉のきつい母親・春香(はるか)に辟易し距離を置いている紗弓ですが、母親の提案で紗弓の36歳の誕生日記念に定山渓に親子3人で家族旅行をすることになります。母親は常に棘のある言い方で紗弓の結婚生活や信好のことを詰(なじ)ります。夫・信好には夜勤と言って旅行に付き合うのですが、そのことも負担になっています。

 夕食後、一人になりたくてロビー横のラウンジに佇んでいると父親が現れます。母親の心無い言葉の数々に傷つけられた紗弓を父が慰めるところが今回の作品のクライマックスです。

 「思い煩う時間があったら、もっと自分の喜べる方向へ頭を使いなさい・・・」「お母さんは素直なひとだからね。・・・気まずい空気も続かなくて案外一緒にいると楽なひとなんだ・・・」「あのひとは、裏表がないひとなんだよ。だからあんまりひとに良く思われないことも多い。ただ、お父さんなりにあの性分をうらやましく思うところもあってね」一人娘に「母親が嫌い」と言われても柔和な表情を崩さない父親です。父から降り注ぐ言葉の柔らかさに紗弓は声を出さずに泣きます。

 今回の作品では、父親に焦点を当てて思うところを書いてみたいと思います。母・春香の棘のある言い方は、これまでにも一人娘の紗弓だけでなく、父親にも数多く突き刺さっていたと想像できます。たぶん若いときは衝突もしたはずです。それでも結婚生活37年を経た今日、父親は春香が「うらやましい」と受け入れています。こうした寛容さはどこから生まれるのでしょうか。

 言葉のきつい人は大抵性格の強い人です。このような人の中には老後にますますその性格が強化され、ますます周りから嫌われるようになる人がいます。一方で、若い時は性格が強く扱いにくい人でも、老後に丸くなり、周囲から信望を集めている人も大勢います。

 性格が強くても老後に丸くなる人は、中年期までの人生経験において、自らの強みと弱みに“気づき”、言葉の使い方を意識的に改めた人ではないかと思います。相手を認め、思いやる心や感謝する心の大切さに気づけば治ると思うのですが、こうした体験を経ないで老後を迎えてしまうと、あまり良い老後が待っていないように思います。春香はこのタイプではないでしょうか。一方、父親は寛容さを醸成する何らかの社会体験を経ているのだと思います。

 専業主婦は社会体験が限られてしまいがちです。しかし、いろいろなものを吸収する感性を保っていれば、どんな出会いからでも気づきのチャンスはあるはずです。たとえば琴線に触れる小説という出会いもあります。対極のタイプがオバタリアンですね。

 少々別のことを書きます。認知症は物事を忘れる病気ですが、感情やプライドは失われていません。認知症の初期の頃には、物忘れを認めたくないためにとっさにウソをつき自らのプライドを維持しようとします。特に性格の強い人にこの傾向がありそうです。専門的なスキルを持った介護士は、認知症高齢者がウソや言い繕いをしても、感情を乱すことはありません。高齢者が言いたいことがうまく伝わらず、暴言を吐いても、暴言や暴力で対応しません。むしろ共感で対応します。

 父親が春香(妻)に対して寛容でいられるのは、これまでの社会体験を基に、赦(ゆる)しから共感の域に高められているからだと思います。この父親のようになりたいものです。