わたしの小説新潮日記

小説新潮の感想を中心としたブログです

木内昇「球道恋々」(第17回)小説新潮2015年9月号

 この作品は2014年5月号から連載され、今月号で第17回目の連載中の作品です。東京六大学リーグが発足(大正14・1925年)するはるか以前、日本野球の草創期に夢中で球を追いかけた男の物語です。私はこの作品はずっと隠れファンでしたが、いよいよファンであることを公言したくなるほど、最近号ではますます好きになっている作品です。

 

 主人公は宮本銀平。明治23年、旧制第一高等学校(明治19年開校)に入学と同時に黄金期のベースボール部に入部します。銀平は万年控えの選手でしたが5年間、学業と野球を両立し無事卒業します。そのまま帝大(東京大学)に進学するはずでしたが、直前に父親が脳卒中で倒れ、家業の表具師を継ぐことになります。近所の面々はもったいないと大反対です。しかし、修行をするも表具師は不適格と父親から烙印を押され、「全日本文具新聞」という小さな業界紙に転職します。現在は編集長です。

 

 明治39年、黄金期のOBたちは、弱体化した野球部(その後、「野球」の訳語が編み出され、ベースボール部は野球部に改称)を再建すべく、一番暇そうな銀平に白羽の矢を立てます。銀平は会社や父親には内緒で休日は野球部のコーチを始めます。

 

 銀平が野球を辞めてから10年が経っています。その間に野球のルールや装備、戦術も大きく変わっています。慣れないコーチを遠慮しながら始める銀平でしたが、次第に野球とその後輩指導にのめり込んでいきます。しかし銀平は決して鬼コーチではなく、現代の“コーチング”を実践しています。選手に敬意を払い、選手の良さを引き出す姿勢です。

 

 コーチを始めて3年が経過しました。人気作家・押川春浪(おしかわしゅんろう)が主宰する「天狗倶楽部」に縁あって関わるようになり、そのプレーを絶賛され、そのままレギュラーとなります。曲がりなりにも現役の野球部のコーチですから草野球チームでは“名選手”になれたのです。

 

 最近号では、さらに1年が経過し、時は明治の最後の頃に移っています。ある時、東京朝日新聞が野球害悪の反野球キャンペーンを展開し始めます。対する天狗倶楽部の面々は讀賣新聞をバックに野球擁護のキャンペーンを展開し、讀賣新聞主催の「野球問題大演説会」が開かれることになります。

 

 当日、銀平は大隈重信の代役として急きょ、演説に登壇することになります。しどろもどろに演説を打ち切り、本人は大いに恥じ入ります。しかし、有名弁士の大演説に比べ、下手でも学生時代に野球に打ち込み、今も野球を続けている野球愛を率直に告白した銀平の演説は一部の関係者に勇気と感銘を与えます。

 

 今月号では、父親から思わぬ真意を聞かされます。父親は銀平が学生時代に将来は官吏になり偉くなるとしていた心持ちが嫌だったと懐述します。また、社会人になってまた野球を始めたことを現実逃避だと快く思っていなかったと話します。しかし、演説を聞いて、下手でも、ただ好きで夢中でやっていることがわかり、銀平が自分をしかと受け止められる人間になっていたことが果報だと吐露します。

 

 「自分に向いたものが見つかりゃあいいが・・・それが仕事ならなおのこといいが、でも実際にゃあ、一生掛けてもそういうものが見つからない人間の方が多い気がするんだよ。」「向いているものと好きなことはたいがい違うんだ。」銀平が父親との会話の中で言ったことばです。

 

 「下手の横好き」が高じれば、「好きこそものの上手なれ」になります。文化というものは案外「好き」から発達したのかも知れませんね。

 

 ところで、好きな仕事に出合えれば、仕事は向いているようになるのもだと思います。そうなると人生は相当に豊かになります。適職発見です。仮に向いていない仕事と感じていても、ちょっとした時に小さな喜びややりがいは見つけられるものです。だから人生そんなに捨てたものではありません。もし、仕事が見つからず落ち込んでいる人がいたら、そのように考えることをお勧めします。

 

 銀平に博文館への転職の誘いがあります。銀平はどのような選択をするのでしょうか。今後がますます楽しみです。