わたしの小説新潮日記

小説新潮の感想を中心としたブログです

神田茜「ミルフィーユ」小説新潮2015年8月号

 今月号で最も楽しかった作品です。

 主人公は奥俵明子(おくだわらあきこ)。34歳。脚本家。夫の浮気、流産その他、諸々の要素がからみ、現在、心療内科を受診中です。 

 明子は、いくつも転院した末にやっと巡り合えた都築医師に夢中です。都築医師のルックス、診療スタイルは多くの女性患者を虜にしてしまいます。都築はクールな態度で診療しながら、最後に一言、患者のハートをつかんでしまう言葉を付け加えます。「もう、これ以上痩せちゃ、だめ。絶対だよ。これは命令」「あなたのことは守るから」などなど。明子も例外ではありません。明子は都築が自分だけを特別に診てくれていると勝手な妄想を抱いています。 

 最後に一言付け加える場面は、相棒の右京さん(水谷豊)や古畑任三郎刑事コロンボでよくあるパターンですね。最後に「ちょっといいですか」というあのパターンです。 

 また、知り合いのカウンセラーによると、利用者(患者)から好意を寄せられたり、付きまとわれたりすることは結構あるようです。対人援助の仕事はこうした関係に陥りやすいので、境界線を引くことが職業倫理として厳しく求められるとのことです。 

 さて、夫は、コント番組の制作会社に勤務しています。明子とはコントの台本を作る仕事で一緒になり、感性が似ていると意気投合しそのまま結婚しました。夫は丸顔で肉まんを買ってくるタイプです。一方、都築は端正なマスクでミルフィーユを勧めるタイプです。夫の浮気に端を発し、夫への幻滅感はますます広がります。離婚届けの用紙を夫に渡しています。しかし、ここでの夫はコミカルで温厚に描かれています。何となく森三中大島美幸の夫・鈴木おさむ氏をイメージしてしまいます。 

 ある時、明子は都築の後を付けて、たまたま出会ったことを装い、都築が話題にしていたミルフィーユが美味しい喫茶店に無理やり誘います。職業的に予防線を張るためにあえて言い間違いをしたともいえますが、明子の姓を正確に憶えていない都築は、明子に夫とは家でも面白い会話をしているのかと振ります。なぜ、ここで夫のことを持ち出すのか不思議に思う明子でしたが、夫といちばん笑ったときのことが蘇ります。「ウンコ」を「愛」と言い換えて会話をしたり、歌の歌詞を換えて歌うというものです。都築はそれを聞いて爆笑します。恋しい人の笑顔が見られたことを喜ぼうとしている自分がいる一方で、口を閉じて肩を揺らし含み笑いをする夫を思い出します。話をしているうちに、夫への信頼と自身の自律が回復し始めます。 

 作中では何も触れられていませんが、都築が夫との楽しい話題のことについて聞いたのは、精神科医として「解決志向アプローチ」の心理療法を無報酬で実施したということです。見事に解決の糸口を与えたことになります。 

 いよいよ終盤です。ほとんど立ち直れた明子は、心療内科をひと区切りにしようとクリニックを訪れると、警察車両が止まり、黄色い予防線が張ってあります。患者の旦那が殴りこんできて都築医師を催涙スプレーで襲撃したとのことです。慌てた明子は夫が襲撃したのではないかと、夫の携帯に電話をすると、家のトイレで奮戦中でした。 

 安堵し特製肉まんを買って、バスに揺られていると、頭の中に「心配ない・・・最後に愛は勝つ・・・」の唄が流れてきました。愛のところに例の言葉を入れ替えた夫の歌声が聞こえてくるのでした。明子は口を閉じたまま肩を揺らして笑い続けて物語は終ります。 

 「つらい話」を追求するより「いい話」を展開した方が展望は開けますね。私の課題解決はだいたいこのパターンです。