わたしの小説新潮日記

小説新潮の感想を中心としたブログです

奥田亜希子「ジャムの果て」小説新潮2015年5月号

 この作品は、人生の大半を専業主婦として全うし、子供は独立し、夫に先立たれた1人暮らしの高齢女性の物語です。 

 主人公は加賀晴子。年齢の記載はありませんが、小さな孫がいることから65、6歳という設定でしょうか。2年前に夫・晋助が死んで半年たったころからジャムづくりを始めています。そのジャムづくりを中心としたブログを1年前に開設し、最近では1日に何度も更新しています。外出することが苦手な晴子がたどり着いた唯一の趣味といった設定です。 

 晴子は、両親が父親の浮気などで不仲であったため、ともかく温かい家庭を築きたかったとしています。そのため、晋助との結婚に際しては、晋助に浮気をしないことを約束させます。また、加賀家では、「家族の誕生日には誕生会を開く」「買い食いはしない」「土日は家族全員で夕食を摂る」が約束事になっていました。子供たちが成長するにつれて、これらの約束事は子供たちには重荷になっていきますが晴子には伝わりません。 

 晴子は、晋助の遺品の整理をしていた時に手帳を見つけます。ここには晋助の浮気の証拠や私生活の愚痴が書き込まれていました。それでも晴子は毎日、晋助の仏壇にジャムを供えています。 

 また、今でも子供たちの部屋は毎日掃除をしています。1人暮らしになったとはいえ晴子にとってこれらのことは専業主婦として当然の務めとなっています。 

 同じように、所帯を持って独立したとはいえ、自分が手塩にかけて育てた娘・息子に自分の手料理を送るのは当然の務めとさえ思っています。しかし、子供たちは晴子から送られてくる手料理にうんざりしています。電話で晴子に迷惑であることを言いますが、晴子には伝わりません。これらのすれ違いは驚愕の結末へとつながっていきます。 

 ある時、ブロ友のマナブが上京するとして東京タワーで会います。マナブには近所で評判の和菓子屋で買った羊羹を手土産に渡しますが、マナブはジャムでなくて落胆します。晴子にとって家族以外に手製のジャムを贈るという選択肢は思い浮かばなかったのです。マナブからは一夜を共にする誘いを受けます。マナブも5年前に奥さんを亡くしていて断る理由もないのですが、済んでのところで断ります。 

 翌朝、ブログを見るとアダルトコンテンツの広告で埋まっています。マナブに心当たりはないか確認のメールを送りますが返事はありません。マナブへの不信とともに、アダルトコンテンツのメールは止まるところがありません。どんどん増えてくるメールの止め方がわからず、晴子は積み上げてきたブログが壊れていくことにパニックになります。 

 ついにパニックから長男・悠太に「死ぬ」と電話をすると逆に激しく叱られます。長女・実和からもこれまで自分たちを拘束してきたことを詰(なじ)られ、パニックは極みへと高まっていきます。 

 いよいよ結末です。晴子はブドウのジャムを鍋でつくり、煮えたぎったジャムの液体を仏壇や子供たちの部屋という部屋、至るところにぶちまけます。ついに晴子は壊れてしまいました。晴子が裸足でふらふらと外に出たところで物語は終わります。(当然、この後はパトカーと救急車のサイレンが近付いてくることになりましょう。) 

 この物語から晴子が晩年に壊れてしまった根本原因を探るとしたら、晴子の少女期に両親が不仲であったことに行き当たると思います。両親の不仲はトラウマになるほどの嫌な体験だったのでしょう。自分たちの子供には自分が経験した“不幸な家庭生活”だけはさせたくないとの拘(こだわ)りが、夫・晋助や子供たちに窮屈な家庭生活を強いる結果になったと物語は説いているのだと思います。負の連鎖を断ち切ろうとするあまり、逆に負の連鎖に落ち込んでいくことがあることを語っているようです。 

 また、母親は早く子離れし自立しないと晩年に不幸が待っていることがあると教えているようです。 

 2015年5月5日付の東京新聞に次のようなコラムがありました。「・・・リカちゃんシリーズにはお父さん、お母さんの人形があるのに対し、バービーのシリーズには姉妹はいても両親の人形はない。・・・米国の子供は早い自立を促される存在で、子供の遊びの世界に親の人形などありえない・・・(旧タカラ創業者 佐藤安太氏)」日米それぞれに文化や風土が違うので一概にどちらがいいかという問題ではありませんが、子供は親の所有物ではないということだけは確かです。 

 さらに、晴子のような1人暮らし高齢者は今後どのように暮らすのがいいのかという課題を提起しているように思います。私は、今の施策でいえば、駅の近いところに(行政、医療、福祉などの)社会サービスや商業施設などを集中させ、そこに高齢者住宅を整備し、健康な時から入居を促すのが妥当のように思います。 

 「世界で一番恐ろしい病気は孤独です」とマザーテレサは言いました。老後は子供だけに依存するのではなく、自立生活の中にあっても皆とのふれあいを求める生き方がいいのではないでしょうか。