わたしの小説新潮日記

小説新潮の感想を中心としたブログです

乾緑郎「歯車の奥のプシュケー」小説新潮2014年5月号

 この作品は、2012年11月号特集SFルネッサンスの「機巧のイヴ」からはじまり、2013年5月号Story Sellerで「箱の中のヘラクレス」、2013年8月号特集SFルネッサンスRで「神代のテセウス」、2014年1月号で「制外のジェペット」となり、今回の作品となりました。「著者コメント」によると、当初は、単発の予定だったとのことですが、連作に発展し、5回目の今回で最終回となったようです。

 私は、最初は江戸時代後期に精密機械の人型ロボットが登場してくることに荒唐無稽な印象を持ちましたが、常識の位相を柔軟にすると、異界の出来事が楽しめるようになりました。

 登場人物やあらすじはこのブログでは「神代のテセウス」の時に書きましたので、興味のある方は、カテゴリで「乾緑郎」のページをご覧ください。(今、読み返してもそれほど的外れな予想をしていませんでしたので安心しました!)

 さて、5回の作品のうち今回だけが作風が大きく異なりました。作品に温かな人間性が宿ったような印象です。最終回となり作者の緊張が解けて作風に反映したのかも知れません。これまでの作品では、機巧師・釘宮久蔵(くぎみやきゅうぞう)はともかく冷徹で久蔵自身が機巧なのではないかと思ったほどでした。文章も硬い印象でした。

 しかし、今回の作品では久蔵がスパイとなり比嘉恵庵(ひがけいあん)のもとに弟子入りしてから、次第に機巧の魅力に取り憑かれ苦悩する様子や、作業台に四肢バラバラに置かれた機巧人形である伊武(イヴ)の乳頭に思わず触れる場面など久蔵の人間性が如何なく描かれています。久蔵が伊武の胸に手をやることで伊武が目覚める場面は神々しくもあります。

 人間と機械はどこが違うのか、心や魂(プシュケー)とは何かを問うています。「人とは複雑さの極まった機巧に過ぎない」「魂と魂にあらざるものの間に境目はない。ただ、複雑さと多様さに差があるだけ」と結論付けています。

 また、機巧が人間らしく振舞えるのは、それを思う人間の気持ちが機巧に「命」を与えているとしています。ここでの命とは機械の動作を人間が機械にあたかも感情があるかのように自分で受け止めている状態とでもいっているのでしょうか。ロボットやバーチャルアイドルに“萌える”感情のことだと思います。

 また、伊武が実は「神代の神器」そのものだったという結末は連作のストーリーに整合性をもたせ安定感を与えています。伊武の体に未知の鉱物や材料を充てることで荒唐無稽感を払しょくしたのだと思います。

 最後は、久蔵は甚内を後継者に指名し、死力を尽くして機巧人形の奥義を伝授します。ひと通り奥義を伝授し終えたのちに、久蔵は今際の際に機巧の技術を磨くには伊武の体に学べといって息を引き取ります。

 結末で甚内と伊武は久蔵邸の別宅の地下の部屋に連れ立ちます。この場面は神聖で、かつエロチックで、甚内の気持ちを思うと感動的でもあります。甚内は伊武の身に着けているものを脱がせるために襟元に手を掛けますが手が震えます。堪らず伊武に告白しそうになりかけた時に、伊武は悪戯っぽく笑って、「甚内様が腕を上げたら、天徳様の体を作って欲しゅうございます」といいます。天徳とは伊武がお気に入りの力士・天徳鯨右衛門(てんとくげいえもん)のことです。今は「箱」になったままです。甚内は一気に現実に引き戻され堪えきれず笑い出して終わります。まあ、なんと、軽いオチをつけて終わるとは!この作風嫌いでないですね。

 ともかく完結おめでとうございます。これから単行本化の作業とのことです。やはり題名は「機巧のイヴ」がいいですね。代表作になることを期待しています。魅力的な作品をありがとうございました。