わたしの小説新潮日記

小説新潮の感想を中心としたブログです

早見和真「イノセント・デイズ」(最終回)小説新潮2014年4月号

 この作品は、主人公・田中幸乃が死刑執行の当日の朝を迎えた場面から始まりました。その後、物語は、幸乃の母親が10代で幸乃を産む決意をするところまで遡り、そこから、幸乃の成育歴を追って展開され、最終回で死刑執行の場面に戻り物語を終えています。 

 私は、これほどまでに主人公に感情移入した小説は記憶にありません。なぜ、幸乃が死刑となるのか、本当に結末で死刑になるのかの不安が拭えず、作品に距離を置くことができなくなっていました。 

 しかし、最終回を読み終えての読後感は決して晴れませんでした。こんなに作品に魅了されてしまったのに、読後感が晴れないのも記憶にありません。理由は、幸乃が自分の無実を一切主張せず、死を待つことだけが生きる意味であるかのような独房生活をしていたことが理解できなかったからです。また、作者はタナトス願望と死刑制度をテーマとしたわけではないと思うのですが、何を訴求したかったのかも理解できませんでした。 

 幸乃は10歳ごろに母親が亡くなるまでは野田幸乃として愛情豊かに育てられていました。その後、祖母に引き取られ、田中幸乃となってから人生が暗転するのですが、作品では幸乃の人生が暗転した理由は描写されていません。とにかく暗転後の幸乃はひたすら、自分が生まれてきたことを否定し続けています。 

 中学生時代には身代わりの強盗致傷犯を自らすすんで受け入れます。自分を理解してくれる数少ない友人を守りたかったからなのでしょうか。10代後半からは凄惨なDVを受け入れます。これは恋人を失いたくないということの表れだったのでしょうか。それでは、かつての恋人の妻と子供に対する身に覚えのない放火殺人犯を受け入れ死刑を望んだことは何だったのでしょうか。かつての恋人へのストーカー行為への贖罪で死刑を望むところまで飛躍してしまったということでしょうか。作品では運よく死ぬ機会が見つかったからだとしていますが、本当にこういうことでいいのでしょうか。 

 また、幸乃が死刑判決の法廷で唯一、安らかな表情をみせたのは、慎一が楽しかった小学生時代の思い出と幸乃の無実を信じている手紙をくれたことへの感謝の笑みだったのでしょうか。作者は死を望む者にも多少の生きることへの欲求があることに触れたのかもしれません。幸乃が死を望むことと慎一への笑みとの関連も結局のところ、どのように理解すればよいのか私にはわかりませんでした。 

 何とか、最終回までに幸乃の真情が明らかになることを期待していましたが、最後まで、なぜ無実の罪を受け入れ死を選んだのか理解できないまま、幸乃への感情移入と作品に対する割り切れなさが残りました。