わたしの小説新潮日記

小説新潮の感想を中心としたブログです

樋口有介「金魚鉢の夏」小説新潮2014年3月号

 この小説は、現在の日本の医療制度や生活保護制度、産業の空洞化、北朝鮮問題、韓国・中国との外交などの問題について漠然と感じる病理や不安を念頭に、現代の社会システムとは徹底的に対極化した社会システムを背景に物語を展開しています。 

 社会システムの改変は、北朝鮮がミサイルを三沢基地、東京、刈羽原発に3発発射させたことから始まります。三沢基地と東京むけに発射されたミサイルは完全撃破されましたが、刈羽原発むけは直撃は回避されたものの、破片が新潟市内の幼稚園を直撃し、園児を含む130人以上が死亡したとしています。世論は一気に反北朝鮮へ。さらに韓国マスコミが「天罰」報道などの反日報道を繰り返すなかで、国民世論は反朝鮮半島へ動いたとしています。 

 このようななか、在日系60万人のうち1割が生活保護受給者であり、戦争相手国人を税金で保護することに国民感情が許さず、全面的に生活保護制度そのものを廃止してしまいます。このような暴挙が許されてしまう世論の恐ろしさを示しています。生活保護制度の廃止で10兆円の歳出削減をします。生活保護受給者が200万人を超え、毎月最高記録を更新している状況を作者は反映しているのだと思います。 

 刑事政策にもメスが入ります。「流刑政策」を導入します。そのため現在では刑務所は全国で5か所のみとなっています。背景は、1人の受刑者に年間250万円費用がかかることに着目しています。被害者が加害者の生活費を負担するのは矛盾であるとして、刑務所に入るには250万円負担する制度に改変されます。それが払えない受刑者は男は硫黄島へ、女は北硫黄島へ流刑です。これで年間2000億円節減させます。 

 また、警察の捜査が民間委託可能になっています。殺人事件は被害者の素性からA・B・Cランクがあり、さらに、それぞれにプラス、マイナスにランクされます。Cマイナスの殺人事件で50人の捜査員が1か月捜査すると5000万円かかり、容疑者勾留、送検、裁判でさらに1億円かかりますが、これを民間委託すると150万円で済みます。捜査は極力、事故か自殺の証拠を発見することに主眼が置かれます。 

 福祉政策とも司法政策ともつかない「希望の家」制度ができます。希望の家は全国に800か所。「自存能力欠損者」の収容施設となっています。浮浪罪が復活し、2度までの逮捕で希望の家に収容になり、3度目で自動的に3年の流刑となります。事実上ホームレスがいなくなり、貧困ビジネスが崩壊します。政府は生活保護制度廃止で希望の家入所者を100万人と想定していましたが実際に入所したのは10万人。ほとんどの人が自立した設定です。 

 このようななかで流刑政策が承認され、アメリカでも導入されようとしています。また、公認売春制度が復活し、非公認売春は収監されます。徹底的な夜警国家です。これらの制度改変で低賃金労働力が国内に大量に供給され、中国、東南アジアから製造業が回帰し、低賃金による空前の好景気となっている設定です。 

 この小説は、こうした社会システムを背景に「群馬県北西部地区・希望の家」でさまざまな事件が起こります。はじめは、横山トミ子不審死事件(Cマイナス事件)の捜査を70歳になる退職刑事・一之瀬幸祐(こうすけ)が委託された事件です。これ以外にも、4年前に長浜蛍子(けいこ・当時小4年)の父親が蛍子に性的虐待に及んだところ慧子に殺されたこと。このことが原因で蛍子は発声障害になり、事件は迷宮入りになっていること。さらには、副所長・丸橋善男(よしお)が蛍子(中2)に性的いたずらをしそうになって蛍子に殺されたこと。このことが契機となり話せるようになったこと。蛍子に関わる2つの事件を高校生・園岡由希也(ゆきや)が秘密裏に後処理していること。所長の本夜宵(やよい・28歳・東大卒厚生労働省キャリア)は医療制度改革をキャリアの目標にしていますが、現地では由希也と性的関係にあることなどです。 

 由希也は夜宵の学習指導の成果もあり県下でも有数の学業成績優秀児で希望の家の期待の星です。ただ、由希也は成育歴で何らかの心の傷がありそうですが、感情を表に出さないタイプです。2つの殺人事件に関わっていますので、今後の展開ではキーパーソンになるのではないかと思います。幸祐の孫娘・愛芽(あやめ・大学生)も登場人物に加わります。この先、どのような展開になるのか読めませんが、いずれにしても何とも不気味な社会設定です。 

 多様な価値観が併存しているときは世論は動きませんが、これらの価値観が背反する2つの価値観に収束され、一方の価値観が優位になると、世論は一定の方向に動くと思います。多様な価値観は併存しているときから相互作用しますので、どちらの価値観が先にあるとか、優位であるとかではなく、お互いの価値観や違いを尊重することが大切なのですが、昨今の社会状況は一方の価値観を排除する傾向があり危険な状況だと思います。 

 この作品の背景設定も、昨今の社会状況の産物で、こうした作品がまた他に相互作用を及ぼし、どちらかの方向へと世論形成に相互作用するのだと思います。