わたしの小説新潮日記

小説新潮の感想を中心としたブログです

野中柊「波止場にて」(最終回)小説新潮2014年2月号

 この作品は戦前、戦中、戦後を駆け抜けた慧子(けいこ)と腹違いの妹の蒼(あおい)の女性史を第三者の視点で描いていました。扱っている事柄は昭和初期から戦後の混乱期を描いていますので、決して明るい話題ではなかったのですが、それでも作品は全編をとおして慧子は優しく、蒼はいつも魅力的でした。 

 物語は、87歳の慧子の日常生活からはじまり、その後、昭和10年、慧子10歳の時代に移ります。慧子は男爵家の一人娘で正真正銘のお嬢さんです。蒼は慧子とは3か月違いの妾の子ですが、何一つ不自由なく育てられ、快活で聡明な女の子です。慧子の母親は余命幾ばくもないことから、慧子に妹を引き合わせたいという心情から慧子と蒼の出会いが始まります。通常、正妻の子と妾の子では、意地悪な令嬢と耐え忍ぶ妾の子というパターンがありがちですが、この作品は全く違います。最初こそ慧子は戸惑いますが、お互いを尊敬し信頼で昭和の激動期を力強く生き抜いていきます。 

 慧子は10歳で母親が病死、その後、継母が浅野家にやってきます。父親は横浜の空襲で行方不明となり、その後慧子は浅野家を出ます。初恋相手は従弟の広也です。蒼に広也を紹介すると蒼と広也が恋仲になり蒼は広也の子を宿します。しかし、その広也も子を見ることなく出征し戦死してしまいます。 

 戦後は二人で事業を起こします。慧子にも恋人ができます。GHQの一員として来日した日系軍人の綸太郎です。綸太郎とは結婚を誓いますが綸太郎は朝鮮戦争に出兵し復員後はアメリカに帰国してしまいます。朝鮮戦争で綸太郎の何かが変わったのですが、この辺はあまり詳らかに記述していません。結局、慧子と綸太郎は両国に分かれながらも恋愛関係を続けますが、慧子は独身のまま今日に至っています。しかし、慧子の周りには、蒼が産んだ渡(わたる)、その娘の真衣、その娘の美帆がいます。しかも美帆は慧子の家によく来ます。慧子は美帆が近頃ますます蒼に初めて会った頃にそっくりになってくるので目を細め、静かに日々を過ごしています。 

 一方の蒼は持前の快活さで時代を切り開いていきました。戦争の暗雲が垂れ込めてくると慧子と通っていた女学校を中退し横浜の路面電車の車掌になります。戦時中は路年電車の運転手をします。また、蒼は一人息子の渡を母親の鞠(まり)らに支えられ育てます。戦後、事業を起こすことを提案したのは蒼です。慧子は生きるたくましさを蒼から感化されたと思います。その蒼も今は亡くなっています。 

 最終回は、「街路の先に、太陽みたいなオレンジ色の小型車―真衣が乗っている車だ。サイドミラーに映し出された慧子たちの姿を見つけたのだろう、ごく短く三回、クラクションが鳴らされた。出発の合図にふさわしく。軽やかなファンファーレのように。」と物語を結んでいます。慧子は89歳になっているはずですが、物語では慧子は老いをありのままに受け入れているものの、寂寥感はありません。 

 100歳以上の人口が5万人を超える今日、89歳が老け込む理由には当たりませんね。さあ、今日はアオ婆(ばあ)の命日です。皆と一緒に蒼が贔屓にしていたフランス料理屋さんに出発です! 

 上品な文章で永きにわたり連載してくださり、心地よく拝読させていただきました。ありがとうございました。