わたしの小説新潮日記

小説新潮の感想を中心としたブログです

佐藤弘「または、センチメンタルジャーニー」小説新潮2013年3月号

 3月号ときたら「卒業」の特集は真っ当です。「卒業」の特集なら朝井リョウさんの作品を期待しましたが、残念ながら収録されていませんでした。しかし、朝井さんの作品とは相当に趣の違う個性的な作品が6作収録されていました。それはそれで新鮮でした。そのなかでも特に異彩を放っていたのは、「または、センチメンタルジャーニー」(佐藤弘)でしょうか。この作品について少し触れてみたいと思います。

 

「または、センチメンタルジャーニー」 佐藤弘

 この作品は今月号の4番目に収録されていました。それまでは素直に読みすすめてきましたが、この作品は脳のシェイプアップといいますか、感性の感度を2、3段階アップさせないと読むことができません。そうでもしないと物語の全体像が把握できないほど時空を超えていて位置関係が不安定です。ストーリーを整理すると以下のようになります。 

 物語は、53歳の中年男・片山悟の前にいきなり女子高生の幽霊が出てきます。でも何やら片山に会えてうれしそうです。女子高生の名は神田久美。35年前に死んでいます。片山自身、通勤途中のはずが久美と一緒に空中を浮遊しています。片山はどうやら18歳に戻っているようです。片山は毎朝、営業に出かけるときに会社のトイレでタブレットPCから裸体の女性の立体映像を映し出し自慰をしてから出かける習慣となっています。こんな自分の光景も空中から久美と一緒に見ることになります。片山は全く状況がつかめません。読者もほぼそのような状況で読み始めます。 

 時代設定は2048年です。眼下では日本陸軍が軍事パレードをしています。久美によると、2010年から久美が死ぬ2013年まで3年間、久美は片山が好きだったといいます。しかし、片山は久美とは会ったことがないといいます。久美は不安になりますが、この段階では読者はこのことの意味がつかめません。しかし、このことが予想外のキーワードとなっていきます。 

 片山は小6の時に東京から広島に引っ越しますが、中学校ではほとんど不登校でした。16~18歳の3年間はPCでヴァーチャルな「神田久美」と会話をしていたことが明らかになってきます。神田久美は片山が創作したヴァーチャルアイドルのようなものでした。しかし、久美との会話は片山が18歳の夏に一度東京に行った時を最後に途切れてしまいます。これは久美の死を意味しています。片山は東京で春間大輔(はるまだいすけ)と会っていました。 

 片山と春間は小学校時代の友達でした。引っ越しした後も片山と春間はPCをとおしてつながっていたようです。片山が反戦運動のメッセージを作成し、春間が提唱者を演じPCに演説画像とともにメッセージを発していました。春間は反戦運動の高校生カリスマとして有名人となっていました。 

 しかし、春間には片山に対する負い目があり、片山が上京してきたときに支持者から届けられていた拳銃で片山を射殺してしまいます。片山にすれば活動的な春間は自分にできない行動を実現してくれる無二の親友だったのですが、そのことは春間には理解できなったようです。春間は片山を射殺直後、支持者の医師からの整形手術で片山になりすまし、広島に戻ります。春間は世間から忽然と姿をくらまし、その後は片山として53歳の今日まで生きてきました。 

 久美は5年後に幽霊となって“復活”し偽片山の中に30年間住み続けてきましたが、やっとこの真実を把握します。久美はいわば偽片山に裏切られたはずなのですが、なぜか偽片山を「片山悟」として受け止めます。なぜ受容したかはあまり書き込んでありません。30年間偽片山の中に憑いて片山と同化してしまっていたと結論づけないと状況は理解できないと思います。 

 最後は53歳の片山のトイレの場面に戻ります。片山は自慰を終え、トイレの窓から空を見上げます。空にむかって空中にいた時の自分は春間の顔だったか、片山の顔だったかを久美に問いかけ物語を終えます。 

 久美は何者だったのでしょうか。2つの説が浮かび上がります。1つはPCから浮き出る裸体の女性が久美となってトイレの中で自慰の最中に一連の妄想を生み出したという説です。この状況証拠は確かにあります。53歳の片山は自分の娘が近く結婚する相手は兵士となって戦地に赴くということで死にたいほど苦悩していたこと、触れられていませんが35年前に幼なじみの片山悟を殺していることの罪悪感に苛まれていても不思議ではありません。また、トイレで久美が体をすり抜けるとき、確かに何かを感じたというのは射精の快感で、その後現実世界に引き戻されたということで説明がつきそうです。 

 2つは幽霊実在説です。私は、作者は久美を「幽霊」として実在させたかったのではないかという説を支持したいと思います。初音ミクヴァーチャルアイドルですが現にライブを行っています。そこに生身の聴衆がミクの存在を受け止めているのが現実です。久美が妄想の産物である必要はないのです。