わたしの小説新潮日記

小説新潮の感想を中心としたブログです

角田光代「どこかべつのところで」小説新潮2013年1月号

 今月号で印象に残った特集作品について、何回かに分けて感想を書きます。

 

 優れた短編小説は短さを感じさせないものだと思っています。この作品は、まさにその見本のような作品でした。 

 物語は一言で言ってしまえば、「飼い猫に逃げられた女性の物語」です。小説を構成する素材はとてもシンプルです。素材はおおむね以下のとおりです。主人公は幅木庭子。離婚歴のある32歳のOL。マンションで一人暮らし。離婚を機に猫を飼う。不注意から窓を開け放しておいた隙に飼い猫の「ぴょん吉」が逃げ出す。近所に飼い猫探しの張り紙を貼って連絡を待つ。あるとき1人の女性から似た猫を見たと連絡がある。猫を見たという現地に行くと1人の女性が待っていた。電話の主は依田愛。50~60歳代の女性。猫は見つからず。依田の誘いで依田の家に行く。庭子は依田の家で猫を失った悲しみを思わず吐露。一方の依田は10年前に息子を交通事故で亡くしていた。 

 素材はほぼこれだけです。しかし、庭子はなぜ離婚したのか、なぜ猫を飼うことになったのか、なぜ張り紙を貼って探し回るのか、どのような日々を送っているのか。一方の依田はなぜ庭子を誘ったのか、なぜ、息子を亡くしたのか、なぜ庭子に息子のことを話したのか、なぜ一人暮らしなのか、依田の家はどのような佇まいなのか、今、どのような思いで生きているのか、などが次々と展開されていきます。展開に一分(いちぶ)の隙もありません。心の描写に使われている言葉やそれを補強する外部の光景描写にすべて意味があります。この構成と心象描写はお見事の一言です。 

 「・・・お辞儀をしたとたんよく知らない人に戻ってしまった依田愛の家にいき、紅茶を飲んだり、息子の話を聞いたりしたことが、どこかつじつまの合わない夢に思えた。けれどそんなふうに現実味のないなかで、依田愛が戻る一点、どんどん濃くなるその光景だけが、まるで自分の体験したことのようにありありと自分の内に在った。」自分を見失いかけていた庭子は依田の悲しみに触れ、自分の立ち位置が見え始めたところで物語は終わります。 

 この作品は、人間であれ、動物であれ、喪失体験がどれだけ辛く、それを生きる力に変えていくことにどれだけ時間がかかるか、生きる力に変えるきかっけにいつ出会えるか、あるいは自ら創り出せるかを問うています。もし、このページを訪問してくださった方で関心があるようでしたら、お近くの図書館などで本誌を手にとり、この作品に触れてみてください。このように密度の濃い短編小説にはなかなかお目にかかれないと思います。