わたしの小説新潮日記

小説新潮の感想を中心としたブログです

帚木蓬生「彦山ガラガラ」小説新潮2012年10月号

 今月号には高齢者介護に関する物語が2つ載っていました。1つは「彦山ガラガラ」(帚木蓬生)で、もう1つは「ファーストレディ」(篠田節子)です。それぞれに高齢者の家庭介護や老親同居の問題、嫁と姑の確執などの困難な家庭状況を題材にしていました。興味深い描写が複数ありましたので、2回に分けて感想を留めておこうと思います。 

「彦山ガラガラ」 帚木蓬生

 はじめに「彦山ガラガラ」(帚木蓬生)です。作品のモチーフは、須藤ナツさんが診察室に持ってきてくれた「彦山ガラガラ」というかつて生業としていた土鈴です。作品は老親同居や嫁と姑の確執などの問題をとおして高齢者の生きにくさをこの土鈴の音をモチーフにして淡々と描写したものです。物語の主人公は内科開業医の「私」です。「私」は10年前に内科医院に老人保健施設を併設し、5年前に特別養護老人ホームを開設しました。 

 小説には触れられていませんが、併設の老人保健施設は医療法人のままでも設立できますが、特別養護老人ホームを開設するには社会福祉法人を別に設立する必要があります。たぶんこの「私」が社会福祉法人の理事長となっているはずです。 

 さて、本題に戻ります。物語では3人の老人保健施設入所者の施設での生活の様子が描かれています。帚木氏が意図して描いたかどうかはわかりませんが、Aさんの描写が老親同居の問題や嫁と姑の確執を回避する重要なヒントだと思いました。「Aさんとの別れ際、息子の嫁は涙を流した。この姑と嫁は本当に仲が良かったのだなと思った。それもAさんの人柄に嫁が感化されたのに違いない。片方が聖人のような人物であれば、相手は悪人にはまずならない。」「聖人」「悪人」の例えは極端のように思いますが、“姑が嫁の存在(人格)を受容(尊重)できる人であれば嫁は姑を大切にするようになる”ぐらいの意味だと思います。 

 「私」が老人保健施設特別養護老人ホームを開設し、施設を巡回するのが楽しみになっていることは親孝行ができなかったことの代償行為であると認めている心情は素直な描写です。このような話はよく聞きます。ここまでが起承転結の「起」と「承」です。 

 次からが「転」の部分です。50キロ近く離れた警察から身分照会の電話が入りました。須藤さんが迷い人になっているとのことです。須藤さんは認知症があるわけではありません。たまたま小銭入れと行先を書いたメモを紛失して途方に暮れていたところを保護されました。1年前に息子家族のところに同居するようになりましたが、同居生活になじめずに故郷に帰りたかったのではないかと「私」は推測しています。 

 「結」の部分では、須藤さんを老人保健施設に入所を勧めるつもりだと言っています。好きな俳句をつくって過ごし、一時でも息子夫婦のもとを離れて生活することを提案したいというストーリーなのでしょうか。もしそうだとしたら、展開が安易のように思います。老人保健施設では6か月しか入所できません。退所後は、ますます家に居場所がなくなります。また、須藤さんの描写からは要介護度1にもならないと思いますので、老人保健施設入所は無理です。介護保険制度の実態をふまえず、高齢者の同居の問題を皮相的に描いただけの作品のように思いました。また、作中には特別養護老人ホームを開設したことと、須藤さんの俳句がいくつも登場していましたが、展開にはほとんど意味がありませんでした。 

 せっかく作品には、「嫁はあたしとは口をきかんのです。」「あたしが気をつかって何か言うと眉間に皺を寄せるだけです。」孫娘は「あたしを見ないようにしとります。」下の孫娘からは「おばあちゃんはいつ死ぬの、と訊かれました。」と、いろいろな愚痴が診察室で出ました。このような描写をするのなら、もっと深い展開もあったと思います。 

 須藤さんはどうしてこのように疎まれてしまったのでしょうか。須藤さんには厳しいようですが、もっと早い時期から息子夫婦と普段から交流していたら、このような扱いにはならなかったはずです。高齢者を見る機会のない孫からみれば突然現れた「年寄りは異次元の生き物」なのです。もちろん、子どもが高齢者と触れ合う機会が少ない状況なら福祉教育で機会を創出しなければならないのですが、それでも一義的には家庭で努力しないといけないと思います。須藤さんはお嫁さんをリスペクトしていたのでしょうか。自分の生活のことだけしか考えていなかったのではありませんか。相手の立場を思いやる心がなければ、相手からの信頼は得られませんね。若い時分の自分の振る舞いは介護が必要になった老後の自分に重くのしかかるものだと思います。 

 土鈴の音に寂しい高齢者像を投影し、郷愁を描写しただけで、老親と息子家族との同居の問題を追求しないのでは作品としては軽いと言わざるを得ません。

 

 次回は「ファーストレディ」(篠田節子)を書きます。