わたしの小説新潮日記

小説新潮の感想を中心としたブログです

窪美澄「夏日狂想」(第6回)小説新潮2021年4月号

 この作品は中原中也小林秀雄との三角関係で有名な女優の長谷川泰子(1904年生れ-1993年没)をモデルにした作品です。中原が水本、小林が片岡、長谷川が礼子の名前で登場しています。

 題名はご存知のとおり中原中也の「春日狂想」をもじったものです。

 これまでのあらすじを本誌から引用すると「礼子は女優になりたくて広島から出奔した。それを助けてくれた川島を捨て、詩人を目指す中学生、水本と暮らし始める。しかし片岡の出現によって、水本との間にはすきま風が。一方、女優としての道も険しく・・・。」これまでの回はほぼ史実に沿った展開のように思います。

 今月号では、片岡との同棲も解消し、女優としての見通しも持てない中、妊娠が発覚します。礼子を諦めきれない水本は誰の子どもでも構わない、自分の子どもとして育てるといって、子どもを滋雄(しげお)と名付けます。文学論を吹っかけては喧嘩ばかりしていた水本が甲斐甲斐しく礼子の世話をしている様は胸が熱くなります。

 「夕日だけ冬の日が差す産院の一室で滋雄を抱く水本が光に包まれていた」頼れる人が水本しかいない心情が凝縮された名場面ですね。

 ただ、その滋雄はわずか3日で亡くなってしまいます。新しい女を自認していた礼子でしたが、ひとりになった部屋で吐くように泣きました。生きていくためには日銭を稼がなければなりません。礼子は酒場の女に戻ります。

 ある時、無為に過ごしている礼子の元に文芸誌の女性編集者が現れます。かねて水本が礼子の文章を勝手に同人誌に載せていたものが編集発行人の目に留まったのです。

 今月号は展望のみえない礼子の転機になりそうな神回(かみかい)のような気がします。この辺からは史実から自由になるのでしょうか。

 また、時々に挿入される中原中也の一文が鮮烈で時に息をのむほどに美しく、作品に緊張感を与えているのがいいですね。今月号で一番印象に残った作品でした。

宮下洋一「デス・ペナルティー 生と死のあいだで」(新連載)小説新潮2021年3月号

 連載は始まったばかりです。取材にも緊張が伝わってきます。この連載は「死刑の在り様を各国の現場取材を通して見つめ直す」新企画のようです。

 筆者はこれまで長年、人間の誕生と死を取材してきた経験から、「人はみな、それぞれの考え方と生き方を持ち、第三者が生死の決定を下すことは望ましくない、というスタンスから常に客観的な視点でこれらの問題をとらえる努力をしてきたつもりである」と自らの取材姿勢を明らかにしています。

 それでも、同じ「死」をテーマにしていても死刑はどこか違う匂いがあると、死刑については「分からないことばかり」であることを吐露しています。

 また、「欧州のような人権教育を受けてこなかった私は、いわば感情だけに任せてこの制度を俯瞰してきた。・・・そのせいか、死刑については、これらの国の人々と積極的に議論することを避けてきた」としています。

 これから始める取材では、「死刑存置が犯罪抑止になるとか、死刑廃止こそが基本的人権の尊重であるとか、一般的な存廃の是非論だけではない。その土地に生きる人々の声を聞き、価値観を探り、その土地だからこそ培われてきた極刑の本質を自らの眼で判断し、考えたい」としています。人権感覚や信仰、その土地の文化の違いの中で存廃している死刑について知りたいとする取材意図を明らかにしています。

 そのためには、「日本よりもまず、海外を調査してみたかった。その理由は日本人である私が、一旦、日本の概念を離れるべきだと考えたからだ。」と海外取材の意義を明らかにしています。

 第1回目はアメリカ・テキサス州での取材でした。テキサス州アメリカでも極端に死刑執行の多い州です。死刑執行予定日がホームページにアップされています。筆者は死刑執行1か月前に迫った人物に取材許可を取りました。取材時間は1時間です。

 このあとどのように取材を続け、各国の事情や死刑囚の心情もさることながら、筆者の認識がどのように変化するのか、しないのかを注意深く読んでいきたいと思います。

葉真中顕「異郷のイービス」(最終回)小説新潮2021年2月号

 作品は終戦直後にブラジルの日本人移民社会で、先の戦争の戦果をめぐって起きた「勝ち組負け組抗争」という騒動を題材にしています。10か月間にわたり殺し合いが行われ、23人が亡くなり、381人の日本人が検挙され、国家騒乱罪で80人が国外追放になった事件です。長く移民史の中でタブー視されていたといわれています。

 主人公は比嘉勇。物語はトキオとの友情と裏切りへの葛藤、皇国民としての誇りと葛藤、渡辺志津先生との背徳の情事へ展開していく様など、比嘉家の養子となりブラジルに渡り、結婚し、子を成し、「勝ち組負け組抗争」に係わる過程を描いています。

 大戦中に弥栄村では栄皇会という皇国組織が結成されます。しかし、終戦を機に敗戦の認識を普及させようとする中心人物を暗殺する集団に豹変してしまいます。瀬良悟朗が代表で勇は副代表格になります。

 物語は終盤に意外な展開になります。大曽根周明暗殺計画の真のターゲットは友人の樋口パウロだというのです。大物でもない一介のブラジル生まれの青年が何でターゲット?? 作者は読者の感情を揺さぶり始めます。真相は、パウロが一時的に大曽根から預かった帳簿の異変に気づいたからです。

 この間に大曽根の側近で秋山稔という「帝国殖民」の社員が登場しています。これまで秋山が殖民に尽力する姿がたびたび描かれていました。その秋山と瀬良と志津が義兄弟であることが明らかになります。この展開も驚きです。

 秋山は不正が発覚するのを恐れ、瀬良と栄皇会を利用し、パウロの殺害を秘かに計画します。その結果、パウロもトキオも瀬良に殺されました。

 物語は終戦直後の邦人社会の混乱を調査しているひとりの日本人がブラジル在住の日本人老婆から聞き取りをするところから始まりました。

 序章は聞き手不詳のまま始まりましたが、終章で聞き手が明らかになります。この構成はちょっと興奮しました。聞き手は第三者の調査員ではなく、作者でもなく、勇の妻の里子だったのです。話している老婆が志津であることも明らかになり物語りの世界にのめり込んでしまいました。この展開はダイナミックです。

 すでに勇は亡くなっていることが里子から伝えられます。志津は里子に不倫や不正を詫びます。里子は1954年のサンパウロ市創設400年祭のときに2億円寄付した個人が志津だったことを確信していました。志津が贖罪していることを知っている里子は志津を赦していたのです。緩んだ感情の地盤はこれくらいの振動でも崩れます。泣けました。

 終章は綺麗な終わり方でしたね。里子は勇にとっては30年ぶり、里子や子供たちにとっては初めての日本訪問を勇の生まれ故郷である沖縄の海で過ごした思い出を語ります。勇は黒瑪瑙(メノウ)の小石を故郷の海に投げ込んだそうです。何度聞いてもその意味を勇は教えなかったといいます。読者ならその意味がわかりますね。

 聴き終わった里子が頭上に目にしたのは長いくちばしの赤い鳥でした。標題にある「イービス」です。「『赤い鳥、小鳥、何故、何故、赤い-』私は再び歌う。志津のことを抱きしめて。」これも読者にとっては技巧と余韻の感じられる終わり方でしたね。赤い鳥が夕日に溶け込むかのように飛んで行ったところで物語を閉じています。

 今日、日本ではどの地方に行っても外国人が暮らしています。しかし、彼らのコミュニティ(共同社会)に日本人が踏み込むことはありません。いわば身近なところ(地域社会)に異世界があるということです。75年以上も前のブラジル社会で起きた事件を当時のブラジル人はどのように理解したのでしょうか。

 学生のときにコミュニティとは地域社会と共同社会のことだと社会学で習ったことを思い出しました。地域社会と共同社会が重なっていれば地域生活は安定しますが、往々にして重なっていません。地域社会は1つしか持てませんが、共同社会は複数持てます。そのうちの1つを地域社会と重ねられると住みやすくなるということかもしれません。(合っているかな?)

貫井徳郎「邯鄲(かんたん)の島遥かなり」(最終回)小説新潮2021年1月号

 作品の題名は「邯鄲(かんたん)の島遥かなり」です。2015年に連載が始まった頃はこの題名はどこに終結していくのか想像できませんでした。しかし、最終回を迎え、この題名が作品にもっともふさわしい題名であることに納得しました。あわせて、長期の連載で最初からゴールを見据えて書き続けていける作者の力量に改めて感服しました。

 作品は神生島(かみおじま)という架空の島を舞台にしています。神尾島には一ノ屋家に美男子が生まれると島に吉兆があるという言い伝えがあります。そのためか、一ノ屋家は近年まで代々、島民の寄付で賄われていました。いわば島民の象徴的な存在でした。

 また、一ノ屋の血を引く者は体のどこかに唇型の痣があります。このようなファンタジックな設定をしたいために島を架空にしたのかも知れません。

 しかし、徐々にこの島が伊豆七島の大島をモデルにしていることがわかります。もし、実在の大島を舞台にしていたら、どのような展開になっていただろうと想像をたくましくするのも読書の楽しみです。

 年代は明治、大正、昭和、平成の150年間を扱っています。物語は一ノ屋家の話から一族へと拡がります。島はこの150年の間に近代化が訪れ、戦争に巻き込まれ、戦後の復興と低成長、噴火による全島避難などがあります。

 こうしたそれぞれの時代状況の中で一ノ屋の血を引く者が、ある者は名家の重圧に耐えられず家を出ました。一族の徴である痣を偽造し一族になろうとする島外者もいました。しかし、大多数の者は一族であることに特別の意味を感じることもなく慎ましく島で生きました。今では一ノ屋本家は特別な存在ではなくなっています。近代化が風習としての象徴を風化させたといえます。

 私はこの作品は2016年1月に一度、感想文をアップしています。改めて当時の感想文を読み返し、作品とともに5年間の旅をしてきたなと感慨に耽りました。まさに「大河小説、堂々の完結」です。よい作品をありがとうございました。

水沢秋生「つゆくさ」小説新潮2020年12月号

 この作品は一度読んで心を揺さぶられ、二度読んで隠し技が見えてくる作品です。時制に幻惑されるファンタジー小説といえます。今回はおもに幻惑された部分について触れてみたいと思います。

 作品は11の単元で構成されています。主人公の「彼」の大学生時代と私が勝手に30代と思いこんだ現在とが交互に描写され、その後、就職後の20代後半と“現在”が交互に現れます。

 大学生時代や20代後半は現在からの回想と思い込んで読み進めると、現在であるはずの第1単元(プロローグ)の最終行が「・・・、そう呼んでいた」と過去形になっています。結末に近づくと、この過去形に意味があったことがわかります。通読しているときは気づかないほどの小さな幻惑です。文章によるサブリミナル効果のようなものでしょうか。

 彼は20歳のときに彼女と出会います。お付き合いに発展するまでが丁寧に描かれています。彼の恋は慎ましやかで誠実です。恋をしている時は、特に若い時は世界が自分を中心の回っているような幸せな気持ちになると思うのですが、彼の恋は等身大です。

 読み進めると、彼らが地方都市の大学生だったことがわかります。彼は卒業後、地元で就職しますが、数年後に東京勤務となります。当然、遠距離恋愛となります。東京で数年が経ち仕事は認められますが、逆に郷里に帰れなくなります。プロポーズの指輪を用意しますが、結局手渡しすることはなかったと、ここでも過去形で単元が終わります。30代は現在ではないのかと胸騒ぎを覚える展開です。

 最終単元で郷里にいる彼女が大震災で圧死していたことが明らかになります。ここに至り完全に惹き込まれてしまいました。

 第1単元で彼が東京からつゆくさ色のネクタイを締めて新幹線に乗る描写は、25年前に亡くなった彼女に“会いに行く”場面だったのです。このネクタイは彼女からプレゼントされたもので、彼女に会いに行く時だけ着けるネクタイだったことが明らかになります。

 彼は毎年彼女の命日にこのネクタイを締めて郷里で彼女と会い、語っています。彼が今でも独身であることが想像できます。この物語は54歳の彼の回想だったことが最後にわかる仕掛けです。

 また、「つゆくさ」は古語では「つきくさ」とも言われ、「消える」「心が移る」に掛かる枕詞に使われていたと彼女からの説明も挿入されています。つきさくがすでに亡くなっている彼女に掛けていることが読み返いてみるとわかります。二度読んでこうした隠し技が作品に余韻と厚みを持たせていると気づきました。

今野敏「探花 隠蔽捜査9」(第2回)小説新潮2020年11月号

 隠蔽捜査シリーズの新連載が先月号から始まっています。今シリーズでは新キャラクターが登場しています。八島圭介(やしま けいすけ)です。福岡県警から神奈川県警の警務部長に異動してきました。しかも、竜崎とは東大法学部で同学年で同期キャリアという設定です。

 さらに、阿久津参事官によると、入庁試験の順位は八島が1位で竜崎は3位だったとのことです。因みに2位は警視庁の伊丹刑事部長だといいます。私大出身の伊丹が2位とか、竜崎が3位とか、余談とはいえ絶妙な設定ですね。竜崎がそういうことに疎いのも竜崎らしいですね。

 伊丹に八島のことで電話すると八島には「黒い噂が付きまとっている」と言います。不穏な新キャラクター登場は大いに歓迎です。

 ところで今シリーズの事件は、横須賀で殺人事件が起き、逃走したのが白人男性ということです。横須賀の米軍基地の司令官や海軍犯罪捜査局、日米地位協定が絡み神奈川県警との役割分担など、これまでになかった展開になろうとしています。

 また、いつものように竜崎家の出来事も同時並行していきます。今回はどうやら長男の邦彦が留学先のポーランドで逮捕されたらしいところで第2話が終わっています。愛読者なら「また邦彦か」と落胆しますね。

 仕事と家庭の問題に竜崎がどう立ち向かっていくのか、楽しみな新作です。また、今シリーズのテーマは標題にあるとおり“花を探す”です。殺人事件があったのはヴェルニー公園です。妻の美紀が言っていたヴェルニー公園の「紫の薔薇」がストーリーのどこで絡むのかも気にしながら読んでいこうと思います。

浅田次郎「母の待つ里にて」(第8回)小説新潮2020年10月号

 この作品にはこれまでに3人のエグゼクティブが登場しています。いずれも60歳前後の独身です。これらの3人は年会費が35万円する「ユナイテッドカード・プレミアムクラブ」の会員です。3人はこのカードを使って1泊2日で50万円する「ユナイテッド・ホームタウン」というサービスを利用します。これは“母親”のいるふるさとを疑似体験できるサービスです。周囲はあきれていますが、本人たちは至って真剣にこのサービスを利用し、これまでを振り返り、これからの人生を考えようとしています。

 登場人物は1人は松永徹。食品会社社長です。ふるさとが気に入り2回目の利用が主題となっています。

 2人目は室田精一です。室田は定年退職と同時に離婚された人物です。同じくこのふるさとに魅せられ墓を移転することが主題となっています。

 3人目は古賀夏生で女医です。60歳を間近に控え、ふるさと体験をとおして、これからの生き方を模索している設定です。

 当初、この奇抜なふるさと体験が3回繰り返されたため食傷気味でした。しかし、前月号(7回目)からは展開に広がりが出てきたので、受け入れやすくなりました。

 今月号は、熟年離婚された室田の一人暮らし生活を描いています。室田は単身赴任が長かったので一人暮らしに困ることはないのですが、悠々自適とはいいがたい現実を感じています。「無為徒食」の言葉がのしかかります。また、愛想をつかされた元妻への未練や退職後、街で出会ったかつての同僚に敵愾心を抱きます。

 一方で、主夫をしている旧友をろくでなしと思っていたことは会社の価値観で測っていたことだと気づきます。老後の生き方が定まっていないふわふわした状況が描かれています。

 “母親”付きのふるさと体験はまだ突飛な感が否めません。今後、この疑似体験が登場人物にとって必要で、実際にあってもいいのではないかと思えるような収束を期待しています。